新選組の屯所となった、壬生の前川邸






旧前川邸は、なぜ浪士組の屯所となったのか?
どのような出来事が起こったのか?
新選組との関係を中心に解説します。
http://kyu-maekawatei.com/shinsen/index.htm

文久3(1863)年から約2年間、
壬生の前川荘司邸は、新選組の屯所となった。
前川邸の屋敷の総坪数は443坪。家は平屋建てで、
建坪が273坪。部屋は12間あり、146畳という広い家だった。

当時、前川本家(京都油小路六角)は、
掛屋として御所や所司代の公金の出納、
奉行所の資金運用の仕事など、
色々な公職を兼ねていたため、
奉行所や所司代との密接なつながりがあった。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。

  


新選組局長役(近藤 勇)、神尾 佑さんは福島県いわき市出身





新選組局長、神尾 佑さんは福島県いわき市出身なんでんすね、

神尾 佑(かみお ゆう、1970年3月16日 - )さんは、
福島県いわき市出身。宮津ルーム(未遊プロジェクト)に
所属していたが、2012年からヒラタオフィス所属となった。

以前の芸名は「鈴木ユウジ」、2006年1月頃から
「鈴木ゆうじ」と表記を変更。2007年8月に「神尾佑」と改名。



近藤 勇(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士。
新選組局長を務め後に幕臣に取り立てられた。
勇は通称、諱は昌宜(まさよし)。
慶応4年(1868年)からは大久保剛、
のちに大久保大和。家紋は丸に三つ引。

新選組局長。武蔵・多摩郡の農家に生まれ、
天然理心流試衛館の近藤周助の養子となる。

1863(文久3)年、幕府が招集した浪士組に参加。
会津が京都守護職の役目を幕府から命じられると、
その配下となって新選組を結成。

京の治安維持に努め、倒幕派の弾圧にあたる。
負傷中のため、「鳥羽・伏見の戦い」には参加せず、
副長の土方が指揮を執った。

その後、江戸で甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)を組織し、
新政府軍と戦う。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


新選組隊士、「島田魁日記」






島田 魁(しまだ かい、文政11年1月15日(1828年2月29日)
- 明治33年(1900年)3月20日)は、新選組隊士(二番組伍長)、
守衛新選組隊長。嶋田ともいう。
後に魁の訓を「さきがけ」と改めた。
諱は義明。家紋は丸に三つ鱗。

島田は箱館戦争後、近藤をはじめ散っていった
新選組隊士の菩提を弔うため念仏をかかさず、
箱館で戦死した土方歳三の戒名を書いた布を
常に懐に携えていたという。
また、後世に自分たちを伝えるため「島田魁日記」を
はじめ様々な記録や品々を保管している。
それらが今日の新選組研究に多大な貢献をしている。

新選組の主催した相撲興行でも活躍し
「力さん」の異名をとった。
また、その巨漢に似合わぬ大の甘党で、
自分で大鍋一杯の汁粉を作り、
それを1人でぺろりとたいらげた。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


新選組の屯所として使われた、八木邸(京都市)





新選組の屯所として使われた、郷士八木家の邸宅(八木邸)。

八木家は但馬国で八木安高により起こった。
源頼朝より今の家紋(三つ木瓜)を拝領した伝っている。

室町時代に京の壬生に移し、江戸の浪士組の宿となる。
新選組の屯所としても使われた。

壬生(みぶ)は京都市中京区の地名。

所在地 京都市中京区壬生梛ノ宮町24

阪急線、大宮駅が最寄の駅ですね。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


八重の桜、明日は9回目、「八月の動乱」






八重の桜、明日は9回目、「八月の動乱」


京都で警備に当たる秋月(北村有起哉)と
覚馬(西島秀俊)のもとへ薩摩から密使が送られ、
倒幕をたくらむ長州を都から排除する
企てに協力するよう求められる。

その話を聞いた容保(綾野剛)は、長州の暴挙を
見過ごすわけにはいかないと兵を挙げる。

孝明天皇(市川染五郎)もこの動きに応じ、
容保へ長州および三条実美(篠井英介)ら排除の勅書を送り、
1863(文久3)年、八月十八日の政変が起こる。

 そのころ、会津では照姫(稲森いずみ)の
右筆選びが行われていた。薙刀の師である
黒河内(六平直政)も八重(綾瀬はるか)を推薦し、
八重の名が最有力候補として挙げられるが…。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


西郷頼母著作の『栖雲記』に残された会津藩への思い





西郷頼母著作の『栖雲記』に残された一文です。
(読み方は、すぐもき、でいいのでしょうか?)

京都守護職は国力の及ばないこと‥



会津から落ち延びて以降(戊辰戦争)、
榎本武揚や土方歳三と合流して箱館戦線で江差まで戦ったものの、
旧幕府軍が降伏すると箱館で捕らえられ、
館林藩預け置きとなった。

明治3年(1870年)、西郷家は藩主である
保科家(会津松平家)の分家でもあったため、
本姓の保科に改姓し、保科頼母となる。

明治5年(1872年)に赦免され、
伊豆で依田佐二平の開設した謹申学舎塾の塾長となる。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


蟄居を命じられた西郷頼母(西田敏行)と八重(綾瀬はるか)






藩主、容保への諫言を聞き入れられず、
蟄居を命じるられた家老、西郷頼母(西田敏行)。

いつの時代も先を見通すことは大変難しいことですが‥



京では倒幕を目指す攘夷派の不逞浪士を取り締まるため、
剣が立つと評判の壬生(みぶ)浪士組を会津藩のお預かりとした。

こうした動きに危機感を持った長州派の公家たちは、
容保(綾野剛)たちを都から追い出すため
孝明天皇(市川染五郎)の名をかたって偽の勅書を容保へ送る。

しかし、その策謀を知った容保は、
守護職への責任感をさらに強めていく。

そんな容保に頼母(西田敏行)は
「これ以上強硬策を採るべきではない」と懇願するが、
容保はそれを拒否。頼母に蟄居を命じる。


*蟄居(ちっきょ)とは、中世から近世
(特に江戸時代)武士または公家に対して科せられた
刑罰のひとつで、閉門の上、自宅の一室に謹慎させるもの。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


新選組の前身集団、「壬生浪士組」が登場する第8回八重の桜

新選組といえば、

2004年1月11日から12月12日まで放送された
43作目のNHK大河ドラマ『新選組!』、
主演のSMAPの香取慎吾(近藤勇役)(作・脚本は三谷幸喜)が
思い出されますが‥。


過去の大河「新選組!」では主人公で、
「龍馬伝」ではテロリスト集団。


さて今回は…敵?味方?



壬生(みぶ)浪士組について

文久三年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組が
東帰した後も、京(現在の京都府京都市)に残った24名で構成。

新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、
「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに
揶揄されていた。

「壬生の狼」とも呼ばれたそうです。







『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


明日は、八重の桜、第8回、ままならぬ思い





いよいよ第8回、「ままならぬ思い」



薙刀の稽古にいそしむ八重(綾瀬はるか)と
幼なじみの時尾(貫地谷しほり)。

そこで、2人は二葉(市川実日子)から
弟の大蔵(玉山鉄二)の祝言が決まったことを知らされる。

時尾は動揺してしまい、稽古中に足を痛めてしまう。
時尾はひそかに大蔵に思いを寄せていたのだった。


さてさて






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。

  


会津藩主松平容保に送られた孝明天皇宸翰(しんかん)





歴史の好きな人には、興味深い内容ですね。

このあたりになると、漢字の読み方も相当に難しくなります。
知っている人は、日本史通です。


写真は、八月十八日の政変を行った礼に、
会津藩主松平容保に送られた孝明天皇宸翰(しんかん)。

御製(ぎょせい)も同時に送られたようですが、
これを松平容保は、竹筒に入れ生涯誰にも見せることなく、
亡くなったとか。

ちなみに、このときの御製は、

「やはらくも 猛き心も 相生の 松の落葉の あらす栄へむ」

「武士と 心あはして 巌をも つらぬきてまし 世々のおもひて」




言葉の意味です。

1.宸翰(しんかん)は、天皇自筆の文書のこと。
  宸筆(しんぴつ)、親翰(しんかん)ともいう。
2.御製(ぎょせい)とは、天皇や皇帝、また皇族が手ずから
  書いたり作ったりした文章・詩歌・絵画などをいう。
  日本では、御製というと一般に天皇が詠んだ和歌の
  ことをいうことが多い。
3.八月十八日の政変とは、江戸時代末期の文久3年8月18日
  (1863年9月30日)、会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が、
  長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放した
  クーデター事件。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。

  


八重の桜、紀行で紹介された三条大橋





そろそろ、京都も舞台になってきました。

紀行で紹介された三条大橋。

橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年(1590年)、
豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として
石柱の橋に改修された。江戸時代においては、
五街道のひとつ東海道につながる橋として、
幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに
幕府の経費で架け替え・修復が行われた。現在の橋本体は2車線、
歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られた。


三条大橋の西詰め北側には、
江戸時代に藩や幕府の高札を立てた「高札場跡」がある。
この場所をめぐる特に有名な事件として、
1866年(慶応2年)8月28日に発生した三条高札事件がある。


ちなみに、

尋常唱歌の『牛若丸』によれば、
五条大橋は弁慶と牛若丸が出会った場所とされるただし異説もある。
『義経記』によれば2人の出会いは清水観音の境内とされる。


さてさて‥




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。




  


京都守護職、松平容保の宥和政策、言路洞開とは





京都守護職として、京都に着任した松平容保はまず、
言路洞開という手法をとります。


言路洞開とは‥


上層部が下層部の意見をくみ取り、
意志の疎通を図ることを意味している。
いわば、言論の自由への理解を示す言葉である。

土佐藩に限らず、この言路洞開は幕府や諸藩でも用いられ
幕末という時代のキーワードのひとつになる。

(以上、追跡!坂本龍馬 [ 菊地明 ]より)


しかしながら、

文久3年2月22日(1863年4月9日)に、
京都等持院にあった室町幕府初代将軍・足利尊氏、
2代・義詮、3代・義満の木像の首と位牌が持ち出され、
賀茂川の河原に晒された事件、

いわゆる、
足利三代木像梟首事件に激怒。
(あしかがさんだいもくぞうきょうしゅじけん)


犯人捕縛を命じ、浪士の一斉蜂起も懸念されたが、
4月には犯人は逮捕され、6月には処罰される。
事件後は浪士取締りが強化されます。


それまで倒幕派の者とも話し合っていく
「言路洞開」と呼ばれる宥和政策を取っていたが、
一転して壬生浪士(後の新選組)などを使う事となります。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


京都守護職本陣(会津藩本陣)となった金戒光明寺(左京区)








金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、
京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。
本尊は阿弥陀如来。通称寺名をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。
知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つ。


京都大学のすぐ近くにあるんですね~



京都守護職本陣

金戒光明寺は徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに
城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保公が幕末の
文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、
京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し
1年おきに交替した。

会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、
守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に
当たらせた。慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に
行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩が
京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年を
もって廃止された。ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した
会津藩士の菩提を弔っている。
なお、このころ中間として出入りしていた侠客が
会津小鉄こと上坂仙吉である。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


八重の桜も、はや7回目、「将軍の首」のあらすじは‥





覚馬(西島秀俊)が八重(綾瀬はるか)や尚之助(長谷川博己)たちの
もとから離れ、容保(綾野剛)に従って都へと旅立った。

 そのころ都では、攘夷を唱える不逞浪士たちによる
天誅(てんちゅう)騒ぎが相次ぎ、不穏な日々が続いていた。

安寧を祈る孝明天皇(市川染五郎)は、容保を気に入り、
自らの御衣(おんぞ)を特別に授ける。



そして、見どころは

八重の幼なじみ・日向ユキとして剛力彩芽さん。


さてさて






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


陸奥会津藩初代藩主・保科正之を祀る土津神社(はにつじんじゃ)








土津神社(はにつじんじゃ)は、
福島県耶麻郡猪苗代町にある神社である。
陸奥会津藩初代藩主・保科正之を祀っている。

所在地 福島県耶麻郡猪苗代町字見祢山1
位置 北緯37度34分14秒
東経140度06分02秒
主祭神 保科正之公
社格等 磐椅神社末社
創建 延宝3年(1675年)



寛文12年8月11日、正之は重臣と共に見祢山へ登り、
磐椅神社(いわはし)へ参拝した。その時にこの地を気に入り、
自らの墓所と定めたという。翌年に正之が死去すると、
遺言どおりにその地に葬られ、神式の葬儀によって埋葬された。
この時期、江戸幕府は葬式は仏式によるものと定めていたが、
吉川惟足が老中稲葉正則と交渉し、
神式で執り行う旨の許可をとった。


土津神社へのアクセス
JR磐越西線猪苗代駅より車で10分、徒歩40分。
磐越自動車道猪苗代磐梯高原インターチェンジより車で10分。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


保科正之の遺訓を守りぬいた、藩主・松平容保




第2代将軍徳川秀忠の庶子という境遇から、異腹の兄家光に見出され、
将軍輔弼役として幕政に精励、武断政治から文治主義政治への
切換えの立役者となった、会津松平家祖・保科正之。
明治以降、闇に隠された“名君”の事績を掘り起こす。

そんな内容の、
保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公文庫、中村 彰彦著)
が出版されています。



保科正之の生い立ち
慶長16年(1611年)5月7日、第2代将軍徳川秀忠の4男(庶子)として生まれる。幼名は幸松。母は秀忠の乳母大姥局の侍女で北条氏旧臣・神尾栄嘉(かんお さかよし)の娘(『以貴小伝』『会津家世実記』)、もしくは武蔵国板橋郷竹村の大工の娘(『柳営婦女伝系』)である静(志津、後の浄光院)。秀忠は慶長15年(1610年)2月から3月、慶長17年(1612年)3月から4月には駿府へ赴いているほか江戸近郊で鷹狩を行っており、静の妊娠はこの間のことであると考えられている。生誕地に関しては諸説あり、浦和宿近郊の現さいたま市緑区で出生したとされる。なお、「会津松平家譜」では江戸神田白銀の竹村次俊宅にて正之が出生したとある。


慶安4年(1651年)、家光は死に臨んで
枕頭に正之を呼び寄せ、

「肥後よ宗家を頼みおく」と言い残した。

これに感銘した正之は寛文8年(1668年)に
『会津家訓十五箇条』を定めた。

第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、
藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記し、
以降、藩主・藩士は共にこれを忠実に守った。

幕末の藩主・松平容保はこの遺訓を守り、
佐幕派の中心的存在として最後まで薩長軍と戦った。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。

  


八重の桜、第6回 「会津の決意」は今日は夜八時から‥

いま、八重の桜のいろいろなバックアップが‥

写真は、ビビる大木先生が率いる「八重たび」の修学旅行、










さて、第6回 「会津の決意」のあらすじは‥

八重(綾瀬はるか)の幼なじみ、
山川大蔵(玉山鉄二)の姉・二葉(市川実日子)が、
会津藩の有望な家臣・梶原平馬(池内博之)のもとへ
嫁ぐことが決まった。

 一方、江戸では勅命を携えた薩摩が
幕府に将軍の上洛を迫る。これを受け幕府は、
京都の治安維持にあたる京都守護職の選任へにわかに着手。
政事総裁職の松平春嶽(村上弘明)は、
かねてから優れた見識をもつ容保(綾野剛)に
白羽の矢を立てるが…。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


八重の桜も第5回 松陰の遺言です




いよいよ第5回松陰の遺言の放送です。


うら(長谷川京子)が覚馬(西島秀俊)の子を身ごもり、
八重(綾瀬はるか)は佐久(風吹ジュン)たちと共に祝福する。

 しかし、その喜びもつかの間、覚馬を攘夷派の不逞(ふてい)浪士が急襲する。
さらに、かつて八重たちとも交流があった吉田寅次郎(松陰・小栗旬)が、
安政の大獄で処刑されたという知らせを聞き…。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


八重の桜:第3回、蹴散らして前へのあらすじなど

早いもので、第3回放送終了です。
蹴散らして前へ(1月20日放送)


桜の木の上で砲術本を無心に読む八重(綾瀬はるか)は、
毛虫に驚いた拍子に本を落としてしまう。

そこへ若き武士が通りがかり、その本を拾い上げる。
それは江戸から覚馬(西島秀俊)を援助しようとやってきた尚之助(長谷川博己)だった。

よき協力者を得て蘭学所の整備を急ぐ覚馬だったが、
藩の守旧派の反感を買い禁足を命じられてしまう。


禁足により自宅の縁側で、気怠く横になる覚馬が印象的でした。


八重は、なぜ、鉄砲を理解してもらえないのかと、尚之助(長谷川博己)に聞きます。
尚之助(長谷川博己)は言います。
「ままならぬこともあります。会津は頑固ですから」
(*ままならぬ:思いどおりにならないこと)


あの時代、鉄砲の重要性を長老たちに理解してもらうことは相当に大変だったと
思います。処罰を覚悟で、正しいことを主張することは今の時代でも難しいことです。


西島秀俊さん、ぴったりの役ですね。



佐久間象山の言葉、現代の時代でも説得力があります。
「何かを始めれば必ず邪魔する者が現れる。蹴散らして前へ進むのだ」





  


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