地下鉄丸太町駅から徒歩3分の新島旧邸




JR京都駅から地下鉄に乗り換えて、
丸太町駅から徒歩3分の新島旧邸


京都の町は、その場所が、地名でおおよそ見当がつきます。
1年程度、住んでいればですが‥

さて

八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)の念願がかない、
女子教育の場となる同志社女学校が誕生した。

しかし開校後まもなく、リツ(大後寿々花)という名の
薩摩出身の女学生が結核にかかってしまう。

 八重はリツを自分の家に移して献身的に看病をするが、
10年前の会津戦争で父を亡くしたリツは八重をかたくなに拒む。

八重は自分の過去を責めて落ち込むが、あきらめずにリツを看護し続ける。
その結果、2人は互いの心の内をさらけ出し合って打ち解け、
リツの容体も安定していく。

 一方、覚馬(西島秀俊)は同志社女学校の新校舎の土地を手に入れるため、
京都府顧問の職を退任。新しい学校づくりへ向けて、襄たちと共に動き出す。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑





山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の
供養之碑が、出身地の豊岡市出石町にあります。

離婚の理由などは定かではないそうですが、
巨額の負債が、八重に掛からないように離婚したという説が
あるそうです。

すべての責任を自身で負い、斗南藩を救った川崎尚之助。
あの時代の生き様に涙がこぼれます。


さて、



川崎尚之助

天保7年(1836年)11月、但馬国において、
出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれる。

長じて後、江戸に出て、坪井為春らに蘭学、舎密術(化学)を学び、
神田孝平、加藤弘之らと並ぶ屈指の洋学者として知られたという。

江戸において会津藩の山本覚馬と知己になり、
その縁から、会津藩藩校・日新館の蘭学所において蘭学を教授し、
鉄砲・弾薬の製造も指導した。

慶応元年(1865年)、山本覚馬の妹・八重(後の新島八重)と結婚。
会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加した。

その後の尚之助について、かつては、江戸において
手習いの師匠として暮らしたとの説が有力であったが、
近年では、会津松平家の家名存続が許され
下北半島に3万石で立藩された斗南藩に移住、
外国商人と米の取引を行うが、訴訟を起こされ、
裁判中の東京で肺炎のため死去したとされている。


NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、
山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の命日の20日、
同市のマスコットキャラクター「玄武岩の玄さん」が、
出石町にある川崎尚之助供養之碑を参拝した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130321/waf13032109290004-n1.htm


  


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