東京・表参道にあった大山巌の私邸





明治38年(1905年)12月7日にようやく東京・穏田の私邸に
凱旋帰国した大山に対し、息子の柏が

「戦争中、総司令官として一番苦しかったことは何か」
と問うたのに対し、

「若い者を心配させまいとして、知っていることも
知らん顔をしなければならなかった」

ことを挙げている。

「茫洋」か「俊異」かという事項についての
大山自身によるひとつの解答であろう‥。


大山家は、東京・表参道(穏田一丁目=当時)に
広大な私邸を持っていたが、太平洋戦争(大東亜戦争)
末期の昭和20年(1945年)5月の東京大空襲で焼失した。
その際アメリカ軍は大山邸などを目標にしていたといわれる。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。





タグ :大山巌穏田

同じカテゴリー(八重の桜 あらすじ)の記事画像
八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲
新島襄の「自責の杖」
新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ
豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑
松平容保の願い、向陽處
八重の詠んだ歌、明日の夜は 何国の誰か ながむらん
同じカテゴリー(八重の桜 あらすじ)の記事
 最終回(50)、いつの日も花は咲く (2013-12-15 19:31)
 八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲 (2013-10-27 21:11)
 新島襄の「自責の杖」 (2013-10-08 10:00)
 新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ (2013-10-07 10:00)
 豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑 (2013-09-02 07:25)
 松平容保の願い、向陽處 (2013-08-04 20:58)

Posted by しまふく at 2013年10月28日20:00 │八重の桜 あらすじ
Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。


QRコード
QRCODE
トップ画面
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
しまふく
しまふく