最終回(50)、いつの日も花は咲く


なんと、最終回。

1年が過ぎてしまった。




1894(明治27)年、八重(綾瀬はるか)は従軍篤志看護婦として
広島陸軍予備病院で日清戦争の負傷兵たちを看護していた。

院内ではコレラや赤痢などが発生し危険な状況だったが、
八重は感染にひるむことなく勇敢に看護に従事、
若い看護婦たちを見事に統率する。


 その功績がたたえられ皇族以外の女性では初となる宝冠章を受章した。
しかし、戦のない世を願う八重は、晴れない気持ちを抱いたまま
故郷・会津を訪れる。


そこで、思いがけない人物と再会し…。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


東京・表参道にあった大山巌の私邸





明治38年(1905年)12月7日にようやく東京・穏田の私邸に
凱旋帰国した大山に対し、息子の柏が

「戦争中、総司令官として一番苦しかったことは何か」
と問うたのに対し、

「若い者を心配させまいとして、知っていることも
知らん顔をしなければならなかった」

ことを挙げている。

「茫洋」か「俊異」かという事項についての
大山自身によるひとつの解答であろう‥。


大山家は、東京・表参道(穏田一丁目=当時)に
広大な私邸を持っていたが、太平洋戦争(大東亜戦争)
末期の昭和20年(1945年)5月の東京大空襲で焼失した。
その際アメリカ軍は大山邸などを目標にしていたといわれる。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  
タグ :大山巌穏田


八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲





第43回:鹿鳴館の華


襄(オダギリジョー)は八重(綾瀬はるか)と共に、
同志社大学の設立を陳情するため
東京の勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ねた。

 その帰りに八重たちは、山川家に立ち寄ることに。
そこには、旧薩摩藩士の陸軍中将・大山巌(反町隆史)が、
長期アメリカ留学から帰国したばかりの山川家の末娘・
捨松(水原希子)を嫁にほしいと日参していた。




大山巌は薩摩藩士・大山彦八の次男。
西郷隆盛の従兄弟。

薩英戦争で彼我の実力差に衝撃を受け、
江川塾にて砲術を学ぶ。

鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍二番砲隊を指揮して戦い、
会津戦争で右股を撃たれ負傷。
この狙撃は、八重であったともいわれている。

維新後、日本人初の近代火砲を発明、
「弥助砲」と呼ばれる。後に、日本初の女子留学生であり、
山川家の末子・捨松(咲)と再婚、
元薩摩藩士との結婚は、会津で物議を醸すことになる。
後年、日露戦争でも大役を果たす。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


新島襄の「自責の杖」




同志社英学校が存続の危機に!? 学校を救うため、
襄はある決断をしますが、猪一郎ら生徒たちの不満は爆発。

ストライキを決行するほどの大騒動にまで発展します。
事態を収拾すべく、襄はすべての責任を負い、自らが罰を受けると言いだし…。




一八八〇年四月の初めごろ、同志社英学校では、学校当局の取った措置に不満を抱いた九人の生徒が学校に抗議したが、その趣旨が受け入れられなかったため、集団欠席するに至った。当時の学校の規則では、集団欠席した者は処罰されることになっていた。しかし彼らの集団欠席の原因となった学校側の措置にも落ち度があった。新島校長はこの問題で深く心を痛め、四月十三日、朝のチャペルの時間に、全校の生徒と教員の前でこの問題に触れ、自分は生徒諸君を責めるわけにはいかない、それにまたその措置を決めた幹事たち(前年卒業したばかりの、三人の若手の教員)を責めるわけにもいかない、しかし校則は守らねばならない、ゆえに校長自身を処罰します、と宣言して、用意した固い木の小枝で、自分の左の掌を力いっぱい打ち始めた。http://www.christian-center.jp/dsweek/07au/t_1106.htmlより引用





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ


大人(たいじん)ならんと欲せば
自ら大人と思うなかれ




同志社英学校の創設から4年。襄(オダギリジョー)は、
アメリカの教団からの資金援助を危険視する日本政府から
廃校を命じられ、外国人教師たちからも伝道教育の強化を
迫られていた。板挟みになり苦悩する襄を、学生たちは弱腰と非難。
八重(綾瀬はるか)は襄をかばうため、あるウソをついてしまう。

 外国人教師たちの提案を飲んで習熟度別クラスを解体し、
新たに伝道専科のクラスを設置しようとした襄に、学生たちは激怒。

ストライキが起こり、学内が不穏な空気に包まれる。

 生徒を退学にすべきという声があがるなか、
襄はすべての罪は校長の自分にあると、
自分の手を杖で打ちつけてわびる。騒動の首謀者となった猪一郎(中村蒼)は、
けじめをつけるため退学を申し出る。


徳富 蘇峰(とくとみ そほう、)は、明治・大正・昭和の
3つの時代にわたる日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
また、政治家としても活躍して、戦前・戦中・戦後の日本に
大きな影響をあたえた。本名は徳富 猪一郎(とくとみ いいちろう)。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑





山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の
供養之碑が、出身地の豊岡市出石町にあります。

離婚の理由などは定かではないそうですが、
巨額の負債が、八重に掛からないように離婚したという説が
あるそうです。

すべての責任を自身で負い、斗南藩を救った川崎尚之助。
あの時代の生き様に涙がこぼれます。


さて、



川崎尚之助

天保7年(1836年)11月、但馬国において、
出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれる。

長じて後、江戸に出て、坪井為春らに蘭学、舎密術(化学)を学び、
神田孝平、加藤弘之らと並ぶ屈指の洋学者として知られたという。

江戸において会津藩の山本覚馬と知己になり、
その縁から、会津藩藩校・日新館の蘭学所において蘭学を教授し、
鉄砲・弾薬の製造も指導した。

慶応元年(1865年)、山本覚馬の妹・八重(後の新島八重)と結婚。
会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加した。

その後の尚之助について、かつては、江戸において
手習いの師匠として暮らしたとの説が有力であったが、
近年では、会津松平家の家名存続が許され
下北半島に3万石で立藩された斗南藩に移住、
外国商人と米の取引を行うが、訴訟を起こされ、
裁判中の東京で肺炎のため死去したとされている。


NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、
山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の命日の20日、
同市のマスコットキャラクター「玄武岩の玄さん」が、
出石町にある川崎尚之助供養之碑を参拝した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130321/waf13032109290004-n1.htm


  


松平容保の願い、向陽處




この言葉には‘斗南藩の未来に光明が差してほしい’という願いが
込められているそうです。

米沢の八重(綾瀬はるか)のもとに、尚之助(長谷川博己)から離縁状が届く。気丈に振る舞いながらも悲しみを抑えきれない八重。尚之助は斗南藩のために行った米取り引きで詐欺に遭い、取り引き先から訴えられ勾留されていたのだ。しかし、八重への手紙にそのことは書かれていなかった。

 そんななか、八重たちのもとに兄・覚馬(西島秀俊)の使いが訪ねてくる。覚馬は京都で生きていて、皆を都に迎えようとしていた。その知らせに安堵(あんど)する佐久(風吹ジュン)とうら(長谷川京子)。しかし、覚馬に内縁の妻と娘がいるということが判明し、八重とうらは動揺する。そして、うらはみね(池田沙弥花)を八重たちに託し、自分はとどまる決意をする。

 1871(明治4)年の秋、うらと別れた八重と佐久、みねの3人は京都へ到着。そこでようやく八重たちは覚馬と再会を果たす。覚馬が会津を旅立って9年ぶりのことだった。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


北斗以南皆帝州が由来の斗南藩


漢詩の1節に由来するそうです。




会津藩のお家再興がかない、新しい藩名が「斗南」に。

新天地での新しい国づくりに向け、大蔵たちは一丸となります。
一方、米沢で新しい生活を始めた八重たちのもとにもお家再興の知らせが届き、
なにやら京都にいる覚馬にも動きが…。

後ろを向くばかりでは前には進めない――
それぞれが希望を胸に、新たな未来へ向けて動き出します。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


八重の詠んだ歌、明日の夜は 何国の誰か ながむらん





籠城からひと月近くが過ぎた9月15日。
八重(綾瀬はるか)の心配を受けながら、権八(松重豊)は補給路を
奪還するために出陣する。新政府軍は鶴ヶ城に一日に二千発を
超える砲弾を撃ち込み、天守閣は無残な姿になりつつあった。

 それでも最後まで会津の意地を貫こうと戦う家臣たちの姿を見た容保(綾野剛)は、
ついに降伏を決意。使者として秋月(北村有起哉)を向かわせるが、
降伏の嘆願が板垣(加藤雅也)ら新政府軍に受け入れられる前に、
権八が敵弾によって倒れてしまう。

 その後、城内の藩士たちに降伏の内容が伝えられ、白旗が掲げられた。
1868(明治元)年9月23日、容保はついに鶴ヶ城を開城。
やり切れない思いを抱えたまま、八重は城を後にする。




明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


西郷頼母のたわまぬ節(第28回 自慢の娘)





恭順を訴えたことで、再び容保と対立することになった西郷頼母。
降伏すべきか、戦い抜くべきか――。

それぞれが悩み考え抜いた覚悟を胸に、
己が信じる道を歩み出す。容保と頼母、

そして八重の道とは…!?

3人の秘めた思いも明らかに。




「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」




会津から落ち延びて以降、榎本武揚や土方歳三と合流して
箱館戦線で江差まで戦ったものの、旧幕府軍が降伏すると
箱館で捕らえられ、館林藩預け置きとなったとか。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


第26回 「八重、決戦のとき」





八重(綾瀬はるか)は、半鐘が鳴り響く城下を佐久(風吹ジュン)らと
共にひた走り、鶴ヶ城に入城した。城の守りが手薄であることを
知った八重は、自ら鉄砲隊の指揮を執ることを名乗り出るが、
神保内蔵助(津嘉山正種)らに「女の出る幕ではない」と
いさめられてしまう。

だが、八重は男も女もなく会津すべての戦いだと訴える。


 一方、出発が遅れたユキ(剛力彩芽)たちは閉門に間に合わず、
敵弾飛び交う城下を逃げ惑っていた。

そして、頼母(西田敏行)の登城のあと自邸に残った
妻・千恵(宮崎美子)たちは自刃の道を選び、壮絶な最期を迎える。

 新政府軍の大山(反町隆史)らは、鶴ヶ城へ向けて
一気に兵を進めるが、城内からの精度の高い射撃に進軍を阻まれ…。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


カール・レーマンと山本覚馬(演:西島秀俊)(第17回)






少し、視聴率が下がってきたようですね、
4月28日放送の「長崎からの贈り物」は 13.7%

この時代の話は演出が難しいようです。


さて、

山本覚馬(演:西島秀俊)新式銃の大量買い付けに応じた
カール・ウィルヘルム・ハインリヒ・レーマンは、
ドイツの造船技術者、貿易商人。
レーマン・ハルトマン商会経営者。
プロイセン王国・オルデンブルク出身。

妻は日本人女性・おとき。弟にルドルフ・レーマン。
娘にルイーズ・シャルロット・オトキ・レーマン(1864年生)。
武器商人であり、日本の近代化に大きな役割を果たした。


山本八重の愛用のスペンサー銃は、
レーマンから譲り受けたものとのこと。

1867年5月4日(慶応3年4月1日)、山本覚馬から
1300挺(うち300挺は桑名藩の分)の小銃の注文を受け、
日本に在庫のあった300挺を引き渡した。

1869年8月6日(明治2年6月29日)に神戸に残りの銃が
到着したが、既に戊辰戦争は終わっていた。
1870年4月(明治3年3月)、先に渡した300挺の
小銃の代金が未払いだとして会津藩に対し訴訟を起こしたが、
レーマン死後の1878年に訴えが取り下げられた。


『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


佐久間象山遭難之碑(京都市中京区木屋町)





象山の教育に対する態度は近代的で、
自分が書物から学んだことは、公開を基本とした。
自身の門弟から「免許皆伝」を求められた時も、
その必要がないことを説明した上で断っている。

学問に対する態度は、小林虎三郎へ送った
次の文書からも窺うことができる。


宇宙に実理は二つなし。
この理あるところ、天地もこれに異なる能わず。
鬼神もこれに異なる能わず。
百世の聖人ももこれに異なる能わず。









『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


百年の後わが心事を知る者あるべし、象山先生の名言






佐久間 象山先生の名言

百年の後わが心事を
知る者あるべし



佐久間 象山(さくま しょうざん(ぞうざん))は、
江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。
松代三山の一人。通称は修理、諱は国忠
(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、
後に子明(しめい)と称した。
位階は贈正四位。象山神社の祭神。



元治元年(1864年)、象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、
慶喜に公武合体論と開国論を説いた。

しかし当時の京都は尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点となっており、
「西洋かぶれ」という印象を持たれていた象山には
危険な行動であった
(しかも京都の街を移動する時に供も連れなかった)。

7月11日、三条木屋町で前田伊右衛門、
河上彦斎等の手にかかり暗殺される。享年54。

現在、暗殺現場には遭難之碑が建てられている。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。
  


吉田松陰が遺した『東北遊日記』





やみがたい憂国の情から、
厳寒の東北を徒歩で旅した吉田松陰。

その日記を読み解きながら、
東北各地の人々の意外な日常を掘り起こす。


嘉永4年(1851年)12月14日、
吉田松陰は東北遊歴の旅に出る。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


鼻の下を黒くして、おどける山本八重(綾瀬はるかさん)





こんな演技がよく似合うのも、綾瀬はるかさんです。


いつも穏やかな尚之助が、怒号を響かせ、感情をあらわに…!? 
覚馬に代わって会津の軍備をなんとかしようとしているのに、
せっかくつくった銃も認められず、怒り心頭の尚之助。

何やらいつもとは違う雰囲気の尚之助を、
八重はそっと見守ります。


『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


尊皇攘夷派の活動家、宮部 鼎蔵(演:宮内敦士さん)





宮部 鼎蔵(みやべ ていぞう、文政3年(1820年)4月
- 元治元年6月5日(1864年7月8日))は日本の武士・熊本藩士、
尊皇攘夷派の活動家である。鼎三とも。諱は増実。号は田城。
贈正四位。養父に宮部増美、実弟に宮部春蔵がいる。


文久3年(1863年)に起きた八月十八日の政変で、
長州藩が京より追放されると宮部も長州藩へ去るが、
元治元年(1864年)には再び京都へ潜伏しており、
古高俊太郎のところに寄宿する。

元治元年(1864年)6月5日 池田屋で会合中に
新選組に襲撃され、奮戦するが自刃する(池田屋事件)。
享年45。明治24年(1891年)に従四位を贈られている。


宮内 敦士(みやうち あつし、1969年7月8日 - )さんは、
埼玉県出身の俳優、声優。血液型はO型。身長177cm。
三木プロダクション、劇団夜想会所属。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。




  


京都三条木屋町にある「池田屋騒動之址」





池田屋事件は、幕末の1864年7月8日
(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の
旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの
尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の
治安維持組織である新選組が襲撃した事件。

池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。
近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている

佐々木旅館の縁者が建立した
「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑がある。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


照姫(稲森いずみ)の右筆に選ばれた八重の幼なじみの時尾





そのころ、会津では照姫(稲森いずみ)の
右筆選びが行われていた。
薙刀の師である黒河内(六平直政)も八重(綾瀬はるか)を推薦し、
八重の名が最有力候補として挙げられるが、
選ばれたのは八重の幼なじみの時尾(貫地谷しほり)だった。

落ち込む八重だったが、尚之助(長谷川博己)に
励まされ次第に元気を取り戻していく。



右筆(ゆうひつ)…位の高い人のそばに仕えて、物を書く人。書記。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


明日の八重の桜は、第10回、新選組の「池田屋事件」




親友の時尾(貫地谷しほり)が照姫(稲森いずみ)の
右筆として城に上がることになり、八重(綾瀬はるか)は
時尾としばらく会えなくなることを寂しく思っていた。

その後、残された八重には縁談が持ち込まれる。
しかし、八重は尚之助(長谷川博己)と共に
新式洋銃の開発に明け暮れていた。

 そのころ都では、新選組の暴発により
池田屋で事件が勃発。会津にいる頼母(西田敏行)は、
会津を守るためには兵力を増すしかないと考え、
官兵衛(中村獅童)に京に行くよう命じる。

しかし、事態は頼母らの予想を上回る早さで展開していき…。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


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