豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑





山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の
供養之碑が、出身地の豊岡市出石町にあります。

離婚の理由などは定かではないそうですが、
巨額の負債が、八重に掛からないように離婚したという説が
あるそうです。

すべての責任を自身で負い、斗南藩を救った川崎尚之助。
あの時代の生き様に涙がこぼれます。


さて、



川崎尚之助

天保7年(1836年)11月、但馬国において、
出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれる。

長じて後、江戸に出て、坪井為春らに蘭学、舎密術(化学)を学び、
神田孝平、加藤弘之らと並ぶ屈指の洋学者として知られたという。

江戸において会津藩の山本覚馬と知己になり、
その縁から、会津藩藩校・日新館の蘭学所において蘭学を教授し、
鉄砲・弾薬の製造も指導した。

慶応元年(1865年)、山本覚馬の妹・八重(後の新島八重)と結婚。
会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加した。

その後の尚之助について、かつては、江戸において
手習いの師匠として暮らしたとの説が有力であったが、
近年では、会津松平家の家名存続が許され
下北半島に3万石で立藩された斗南藩に移住、
外国商人と米の取引を行うが、訴訟を起こされ、
裁判中の東京で肺炎のため死去したとされている。


NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、
山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の命日の20日、
同市のマスコットキャラクター「玄武岩の玄さん」が、
出石町にある川崎尚之助供養之碑を参拝した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130321/waf13032109290004-n1.htm





同じカテゴリー(八重の桜 あらすじ)の記事画像
東京・表参道にあった大山巌の私邸
八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲
新島襄の「自責の杖」
新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ
松平容保の願い、向陽處
八重の詠んだ歌、明日の夜は 何国の誰か ながむらん
同じカテゴリー(八重の桜 あらすじ)の記事
 最終回(50)、いつの日も花は咲く (2013-12-15 19:31)
 東京・表参道にあった大山巌の私邸 (2013-10-28 20:00)
 八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲 (2013-10-27 21:11)
 新島襄の「自責の杖」 (2013-10-08 10:00)
 新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ (2013-10-07 10:00)
 松平容保の願い、向陽處 (2013-08-04 20:58)

Posted by しまふく at 2013年09月02日07:25 │八重の桜 あらすじ
Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。


QRコード
QRCODE
トップ画面
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
しまふく
しまふく