はしだ のりひこさん 誕生日

今日 1月7日が誕生日 はしだ のりひこさん


はしだ のりひこ(昭和20年酉とり年、本名:端田 宣彦、1945年1月7日 - )さん。

日本のシンガーソングライター、フォークシンガー。京都府京都市生まれ。
同志社高等学校、同志社大学神学部。
8年+休学で10年在籍、期間満了で退学。身長163cm。愛称はのりちゃん。

1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、
加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加する。
フォーク・クルセダーズが1968年10月に解散した後、
「はしだのりひことシューベルツ」や「はしだのりひことクライマックス」
「はしだのりひことエンドレス」のリーダーを務め、ソロに転向。

「シューベルツ」とはシューベルトと“Shoe Belts”(靴のひも)をひっかけたもの。
メンバーは、はしだのりひこ、越智友嗣、杉田二郎、井上博。

「風」(1969年)が最大のヒット作品。この名前ではかなりの作品数を発表した。
続く「さすらい人の子守唄」で『夜のヒットスタジオ』に出演した時は、
バックのイメージ映像が映されないという放送事故が起きた。
「風」は、キャンディーズ、中澤裕子と藤本美貴、2014年には
高畑充希が自身のアルバム『PLAY LIST』においてカバーしている。


たとえば光 [ はしだのりひこ ]





はしだのりひこ/ゴールデン☆ベスト




  


Posted by しまふく at 2019年01月07日05:06日記
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真田丸、始まりました。船出は好調ですね









真田丸、始まりました。船出は好調ですね


脚本は三谷幸喜さん、

NHK大河ドラマでは2004年度放送の『新選組!』以来2度目とか。

2010年以来続く原作なしのオリジナル作品らしいです





今回のキャストには


いわゆる、三谷幸喜チルドレンが総出!


あらすじですが、


後に日本一の兵と呼ばれることになる男・真田信繁は、この時まだ15歳の若者。

天正十年(1582年)、名将武田信玄の死から9年、
長篠での大敗から7年・・・天下にその名を轟かせていた武田家は滅亡に瀕していた。
迫り来るは織田・徳川の両軍。木曾義昌の寝返りを機に家臣の離反が続く中、
真田家は武田家臣としては見下される立場にあった。




真田信繁(さなだ のぶしげ)を演じる

堺雅人さん、


期待してますよ


  


Posted by しまふく at 2016年01月16日18:54真田丸
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藤沢周平『三屋清左衛門残日録』

藤沢周平『三屋清左衛門残日録』


藤沢周平さんの作品には

独特の雰囲気がありますよね。



以下は、


富士ゼロックス元会長で経済同友会の代表幹事も務めた
小林陽太郎氏の書評です。


しかし、読者はこの作品を読みながら、清左衛門の人生に、
もしかしたら自分にも同じような状況が訪れるかもしれない、と
感じるのである。

また、藤沢作品の世界に入っていきやすいのは、藤沢さんが
作り出す架空の世界が、読者に、どこかで見たような懐かしい情景を
思い起こさせるからではないだろうか。





無料イラストのClipartLogoから
http://jp.clipartlogo.com/free/edo-period.html


  


万俵家の華麗なる一族 山崎豊子

キムタクの主演TVもあったわけですが、

先月、

はじめて、読みました。

やっぱり、

最後の場面は、ちょっと









業界ランク第10位の阪神銀行頭取、万俵大介は、

都市銀行再編の動きを前にして、

上位銀行への吸収合併を阻止するため必死である。

長女一子の夫である大蔵省主計局次長を通じ、

上位銀行の経営内容を極秘裏に入手、小が大を喰う企みを画策するが、

その裏で、阪神特殊鋼の専務である長男鉄平からの融資依頼をなぜか冷たく拒否する。

不気味で巨大な権力機構〈銀行〉を徹底的に取材した力作。







  


マキアヴェッリ語録 塩野七生

塩野七生さん


七海ではなくて 七生なんですね。


Wikiで調べると、


たしかに、7月7日生まれで、


名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来とか。



なるほど。



ところで、


またぞや、読書熱がでてきて、


選ぶ本となると、


決まってきます。



好きな作家はかわらないということか、‥







  


最終回(50)、いつの日も花は咲く


なんと、最終回。

1年が過ぎてしまった。




1894(明治27)年、八重(綾瀬はるか)は従軍篤志看護婦として
広島陸軍予備病院で日清戦争の負傷兵たちを看護していた。

院内ではコレラや赤痢などが発生し危険な状況だったが、
八重は感染にひるむことなく勇敢に看護に従事、
若い看護婦たちを見事に統率する。


 その功績がたたえられ皇族以外の女性では初となる宝冠章を受章した。
しかし、戦のない世を願う八重は、晴れない気持ちを抱いたまま
故郷・会津を訪れる。


そこで、思いがけない人物と再会し…。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


鬼平犯科帳のエンディング、インスピレーション






なぜか、鬼平犯科帳(池波正太郎の時代小説)。

レンタルで1本見てから、はまりました。

これは、いい!おもしろい!


いろいろなバージョンがあるみたいですが、
レンタルできるのは、中村吉右衛門さん主演の『鬼平犯科帳』。


1989年7月からフジテレビで放送されていたらしいが
知らなかったな~。



エンディングがいいんです。

インスピレーション。

「Inspiration 」by Gipsy Kings






なにか、江戸時代の少し物悲しい感じのメロディー。







  


Posted by しまふく at 2013年11月30日14:40鬼平犯科帳
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東京・表参道にあった大山巌の私邸





明治38年(1905年)12月7日にようやく東京・穏田の私邸に
凱旋帰国した大山に対し、息子の柏が

「戦争中、総司令官として一番苦しかったことは何か」
と問うたのに対し、

「若い者を心配させまいとして、知っていることも
知らん顔をしなければならなかった」

ことを挙げている。

「茫洋」か「俊異」かという事項についての
大山自身によるひとつの解答であろう‥。


大山家は、東京・表参道(穏田一丁目=当時)に
広大な私邸を持っていたが、太平洋戦争(大東亜戦争)
末期の昭和20年(1945年)5月の東京大空襲で焼失した。
その際アメリカ軍は大山邸などを目標にしていたといわれる。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  
タグ :大山巌穏田


八重、大山巌(反町隆史)と腕相撲





第43回:鹿鳴館の華


襄(オダギリジョー)は八重(綾瀬はるか)と共に、
同志社大学の設立を陳情するため
東京の勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ねた。

 その帰りに八重たちは、山川家に立ち寄ることに。
そこには、旧薩摩藩士の陸軍中将・大山巌(反町隆史)が、
長期アメリカ留学から帰国したばかりの山川家の末娘・
捨松(水原希子)を嫁にほしいと日参していた。




大山巌は薩摩藩士・大山彦八の次男。
西郷隆盛の従兄弟。

薩英戦争で彼我の実力差に衝撃を受け、
江川塾にて砲術を学ぶ。

鳥羽・伏見の戦いで薩摩軍二番砲隊を指揮して戦い、
会津戦争で右股を撃たれ負傷。
この狙撃は、八重であったともいわれている。

維新後、日本人初の近代火砲を発明、
「弥助砲」と呼ばれる。後に、日本初の女子留学生であり、
山川家の末子・捨松(咲)と再婚、
元薩摩藩士との結婚は、会津で物議を醸すことになる。
後年、日露戦争でも大役を果たす。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


多忙とは怠け者の遁辞、徳富 蘇峰




多忙とは怠け者の遁辞である
今日なすべきことを 今日しなかったら
明日は必ず多忙である

徳富 蘇峰


調べれば調べるほど、興味深い人物です。


たくさんのペンネームもあります。

菅原 正敬
大江 逸
大江 逸郎
山王草主人
頑蘇老人
蘇峰学人



言行録から、

「図に乗ってナポレオンや今川義元や秀吉のようになってはいけない。
引き際が大切なのである。」



与謝野晶子は、蘇峰について2首の短歌を詠んでいるとか。

・わが国のいにしへを説き七十路(ななそじ)す 未来のために百歳もせよ

・高山のあそは燃ゆれど白雪を 置くかしこさよ先生の髪



ようやく、最近になって、一期一会がわかってきました。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


新島襄の「自責の杖」




同志社英学校が存続の危機に!? 学校を救うため、
襄はある決断をしますが、猪一郎ら生徒たちの不満は爆発。

ストライキを決行するほどの大騒動にまで発展します。
事態を収拾すべく、襄はすべての責任を負い、自らが罰を受けると言いだし…。




一八八〇年四月の初めごろ、同志社英学校では、学校当局の取った措置に不満を抱いた九人の生徒が学校に抗議したが、その趣旨が受け入れられなかったため、集団欠席するに至った。当時の学校の規則では、集団欠席した者は処罰されることになっていた。しかし彼らの集団欠席の原因となった学校側の措置にも落ち度があった。新島校長はこの問題で深く心を痛め、四月十三日、朝のチャペルの時間に、全校の生徒と教員の前でこの問題に触れ、自分は生徒諸君を責めるわけにはいかない、それにまたその措置を決めた幹事たち(前年卒業したばかりの、三人の若手の教員)を責めるわけにもいかない、しかし校則は守らねばならない、ゆえに校長自身を処罰します、と宣言して、用意した固い木の小枝で、自分の左の掌を力いっぱい打ち始めた。http://www.christian-center.jp/dsweek/07au/t_1106.htmlより引用





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


新島襄が贈った言葉、大人ならんと欲せば自ら大人と思うなかれ


大人(たいじん)ならんと欲せば
自ら大人と思うなかれ




同志社英学校の創設から4年。襄(オダギリジョー)は、
アメリカの教団からの資金援助を危険視する日本政府から
廃校を命じられ、外国人教師たちからも伝道教育の強化を
迫られていた。板挟みになり苦悩する襄を、学生たちは弱腰と非難。
八重(綾瀬はるか)は襄をかばうため、あるウソをついてしまう。

 外国人教師たちの提案を飲んで習熟度別クラスを解体し、
新たに伝道専科のクラスを設置しようとした襄に、学生たちは激怒。

ストライキが起こり、学内が不穏な空気に包まれる。

 生徒を退学にすべきという声があがるなか、
襄はすべての罪は校長の自分にあると、
自分の手を杖で打ちつけてわびる。騒動の首謀者となった猪一郎(中村蒼)は、
けじめをつけるため退学を申し出る。


徳富 蘇峰(とくとみ そほう、)は、明治・大正・昭和の
3つの時代にわたる日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
また、政治家としても活躍して、戦前・戦中・戦後の日本に
大きな影響をあたえた。本名は徳富 猪一郎(とくとみ いいちろう)。



『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


地下鉄丸太町駅から徒歩3分の新島旧邸




JR京都駅から地下鉄に乗り換えて、
丸太町駅から徒歩3分の新島旧邸


京都の町は、その場所が、地名でおおよそ見当がつきます。
1年程度、住んでいればですが‥

さて

八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)の念願がかない、
女子教育の場となる同志社女学校が誕生した。

しかし開校後まもなく、リツ(大後寿々花)という名の
薩摩出身の女学生が結核にかかってしまう。

 八重はリツを自分の家に移して献身的に看病をするが、
10年前の会津戦争で父を亡くしたリツは八重をかたくなに拒む。

八重は自分の過去を責めて落ち込むが、あきらめずにリツを看護し続ける。
その結果、2人は互いの心の内をさらけ出し合って打ち解け、
リツの容体も安定していく。

 一方、覚馬(西島秀俊)は同志社女学校の新校舎の土地を手に入れるため、
京都府顧問の職を退任。新しい学校づくりへ向けて、襄たちと共に動き出す。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


豊岡市出石町にある川崎尚之助供養之碑





山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の
供養之碑が、出身地の豊岡市出石町にあります。

離婚の理由などは定かではないそうですが、
巨額の負債が、八重に掛からないように離婚したという説が
あるそうです。

すべての責任を自身で負い、斗南藩を救った川崎尚之助。
あの時代の生き様に涙がこぼれます。


さて、



川崎尚之助

天保7年(1836年)11月、但馬国において、
出石藩の医師・川崎才兵衛の子として生まれる。

長じて後、江戸に出て、坪井為春らに蘭学、舎密術(化学)を学び、
神田孝平、加藤弘之らと並ぶ屈指の洋学者として知られたという。

江戸において会津藩の山本覚馬と知己になり、
その縁から、会津藩藩校・日新館の蘭学所において蘭学を教授し、
鉄砲・弾薬の製造も指導した。

慶応元年(1865年)、山本覚馬の妹・八重(後の新島八重)と結婚。
会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加した。

その後の尚之助について、かつては、江戸において
手習いの師匠として暮らしたとの説が有力であったが、
近年では、会津松平家の家名存続が許され
下北半島に3万石で立藩された斗南藩に移住、
外国商人と米の取引を行うが、訴訟を起こされ、
裁判中の東京で肺炎のため死去したとされている。


NHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、
山本八重(後の新島八重)の最初の夫で、出石藩
(現在の豊岡市出石町)出身という川崎尚之助の命日の20日、
同市のマスコットキャラクター「玄武岩の玄さん」が、
出石町にある川崎尚之助供養之碑を参拝した。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130321/waf13032109290004-n1.htm


  


松平容保の願い、向陽處




この言葉には‘斗南藩の未来に光明が差してほしい’という願いが
込められているそうです。

米沢の八重(綾瀬はるか)のもとに、尚之助(長谷川博己)から離縁状が届く。気丈に振る舞いながらも悲しみを抑えきれない八重。尚之助は斗南藩のために行った米取り引きで詐欺に遭い、取り引き先から訴えられ勾留されていたのだ。しかし、八重への手紙にそのことは書かれていなかった。

 そんななか、八重たちのもとに兄・覚馬(西島秀俊)の使いが訪ねてくる。覚馬は京都で生きていて、皆を都に迎えようとしていた。その知らせに安堵(あんど)する佐久(風吹ジュン)とうら(長谷川京子)。しかし、覚馬に内縁の妻と娘がいるということが判明し、八重とうらは動揺する。そして、うらはみね(池田沙弥花)を八重たちに託し、自分はとどまる決意をする。

 1871(明治4)年の秋、うらと別れた八重と佐久、みねの3人は京都へ到着。そこでようやく八重たちは覚馬と再会を果たす。覚馬が会津を旅立って9年ぶりのことだった。




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


北斗以南皆帝州が由来の斗南藩


漢詩の1節に由来するそうです。




会津藩のお家再興がかない、新しい藩名が「斗南」に。

新天地での新しい国づくりに向け、大蔵たちは一丸となります。
一方、米沢で新しい生活を始めた八重たちのもとにもお家再興の知らせが届き、
なにやら京都にいる覚馬にも動きが…。

後ろを向くばかりでは前には進めない――
それぞれが希望を胸に、新たな未来へ向けて動き出します。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


八重の詠んだ歌、明日の夜は 何国の誰か ながむらん





籠城からひと月近くが過ぎた9月15日。
八重(綾瀬はるか)の心配を受けながら、権八(松重豊)は補給路を
奪還するために出陣する。新政府軍は鶴ヶ城に一日に二千発を
超える砲弾を撃ち込み、天守閣は無残な姿になりつつあった。

 それでも最後まで会津の意地を貫こうと戦う家臣たちの姿を見た容保(綾野剛)は、
ついに降伏を決意。使者として秋月(北村有起哉)を向かわせるが、
降伏の嘆願が板垣(加藤雅也)ら新政府軍に受け入れられる前に、
権八が敵弾によって倒れてしまう。

 その後、城内の藩士たちに降伏の内容が伝えられ、白旗が掲げられた。
1868(明治元)年9月23日、容保はついに鶴ヶ城を開城。
やり切れない思いを抱えたまま、八重は城を後にする。




明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月かげ




『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


西郷頼母のたわまぬ節(第28回 自慢の娘)





恭順を訴えたことで、再び容保と対立することになった西郷頼母。
降伏すべきか、戦い抜くべきか――。

それぞれが悩み考え抜いた覚悟を胸に、
己が信じる道を歩み出す。容保と頼母、

そして八重の道とは…!?

3人の秘めた思いも明らかに。




「なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」




会津から落ち延びて以降、榎本武揚や土方歳三と合流して
箱館戦線で江差まで戦ったものの、旧幕府軍が降伏すると
箱館で捕らえられ、館林藩預け置きとなったとか。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。


  


第26回 「八重、決戦のとき」





八重(綾瀬はるか)は、半鐘が鳴り響く城下を佐久(風吹ジュン)らと
共にひた走り、鶴ヶ城に入城した。城の守りが手薄であることを
知った八重は、自ら鉄砲隊の指揮を執ることを名乗り出るが、
神保内蔵助(津嘉山正種)らに「女の出る幕ではない」と
いさめられてしまう。

だが、八重は男も女もなく会津すべての戦いだと訴える。


 一方、出発が遅れたユキ(剛力彩芽)たちは閉門に間に合わず、
敵弾飛び交う城下を逃げ惑っていた。

そして、頼母(西田敏行)の登城のあと自邸に残った
妻・千恵(宮崎美子)たちは自刃の道を選び、壮絶な最期を迎える。

 新政府軍の大山(反町隆史)らは、鶴ヶ城へ向けて
一気に兵を進めるが、城内からの精度の高い射撃に進軍を阻まれ…。






『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。



  


長崎医学伝習所の教官、クーンラート・ハラタマ


次回は、26回「決戦のとき」ですが、

少し、時間を戻って‥



クーンラート・ハラタマとは

1831年4月25日、オランダ・アッセンに生まれる。ユトレヒトの国立陸軍軍医学校を卒業後、三等軍医として1年間ナイメーヘンで軍務につき、1853年に母校である軍医学校の理化学教師となった。方で、ユトレヒト大学の医学部、自然科学部に学生として在籍した。その間に二等軍医に昇格した。

1857年(安政4年)に長崎海軍伝習所に付属して設立された医学伝習所は、1865年(慶応元年)には精得館と改称した。当時教頭を務めていたアントニウス・ボードウィンは化学の専門家の招聘が必要であることを幕府に建言し、そらが認められて化学教室「分析窮理所」が新設され、クーンラートはその教官として招聘された。1866年4月16日(慶応2年3月2日)長崎に到着した。





『八重の桜』は、2013年1月6日より放送されている
NHK大河ドラマ第52作。

  


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